
「Moon time」価値の無い樹木
自分がまだ蒸留と出会う前。
サラリーマンを辞めて森の世界に足を踏み入れた当時、
目に映る森の全てが価値だと確信していた。
そんな折に「木が好きな変人がいる」ということで突如連絡をもらった、
街路樹の伐採の話。

「どうせ捨てるだけだから、よければ持っていく?」と聞かれて
捨てる理由がわからない(だからもらいます)と即答した。
樹種はソメイヨシノ。
知り合いの職人さんたちに聞くと、口を揃えて「使い道がない」という。
ソメイヨシノなんて、役に立たないから取りに行くだけ赤字だよ、と。
当時はそう言われると逆に、むしろなぜ誰も道を考えないのか?と本気で思った。
1ミリも疑わずに自分なら使い道が見出せると思って、
数万円払ってトラックを借りて、3、4本引き取ってきて。
そして製材してみて「これはダメだ」と一瞬で理解した。

木目が荒すぎる。どうみても「これから暴れますのでよろしく」と宣言してるような木目。
「赤字だよ」と言ってくれたのが、優しさから来るアドバイスだったのだとその時初めて気づいた。
それから1年後くらいに、
とある酒造メーカー様から、テキーラと日本の樹木のコラボイベントを開催したいんだけど
というオファーを頂いた。そこで、自分でも狂ってると思うんだけど、
テキーラに日本の森を漬けまくるイベントをしようと冗談半分で提案したら、
売上高世界No.1のメーカー様なのにフランクに「いいね!」と全力で賛成してくれて、
色々な森の資源をテキーラに漬ける中で、ふとソメイヨシノのことを思い出して、
漬けてみたらこれが一番のヒットだった!

この喜びをなんと言語化すればいいのだろう。
生かされている森に、意味を付与できる喜び。
ソメイヨシノを使うMoon timeは
自分にとっては単なる香り以上の意味がある。
価値のないと言われるものに、どうやって価値を与えるか。
試行錯誤を繰り返した自分の時間が、
香りを嗅ぐといつも思い出される気がする。